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ビシュヌプラムへの道中

 いよいよハイデラバードを離れビシュヌプラムへ向かうのですが、途中に美しい寺院があったので立ち寄りました。このあたりになるといったい自分は今何処を走っているいるかなど全く判りません。何処というか、インドのどのあたりに自分がいるのか、ほとんど理解できていないと言った方が正しいと思います。そんな訳ですから、この寺院にもう一度行きたいと思ってもまず不可能でしょう。せめて小型GPSのマゼランでもあれば経緯度を記録できたのですが・・・・
シャルマンが行くな行くなと言うのを気にせずお寺へ行ってみましたが、まず日本ではお目にかかれない色遣いの仁王像?です。左側の緑の像はどうやら猿の神様のようですが、はっきり言ってわかりません。もしご存じの方がいらっしゃいましたら私のブログにでもコメントを残してください。
それほど古いものではなく、思わずあのカルト教団の発砲スチロールの像を思い浮かべてしまいました。失礼。
この像について、インド在住のもんさんからコメントを戴きましたので引用します。(2006.2.2)
もんさんは以前ハイデラバードで日本語学校の講師をされていて、2005年7月からはケララ州のコーチンで同職に就かれています。

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お世話になっております。パライソ南インドのもんです。
HYD道中記拝見いたしました。何でも丁寧に見ていらっしゃるのだなぁとため息が出てしまいました。

お寺の像について。
私は行った事が無い所なので確かじゃないのですが…
あのお寺はラマ(ラーマーヤナの主人公)のお寺かな?お寺の門に飾られている三体の真ん中がラマだと思われます。
で、左の猿がハヌマーン、右の人がラクシュマン。ラクシュマンはラーマの弟にあたるそうです…が、像に何かそれと分かるお印があるわけじゃありません。
ただ、この三体は大概一緒に祀られてるのと、額のマークがヴィシュヌ系であることと、ラクシュマンが好きなHYDの近くであることの三点から、上記のように判断されました。違ったらすみません!

ロケ記、楽しみにしています。
これからも頑張ってください^^
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もんさん、有り難うございます。

シャルマンが行くな行くなと言った理由がこの人たちです。
拝まれても施す様なものは持ち合わせていません。私に出来ることと言えば写真を撮ること。この日、この場所でこの人たちと出会い、そして写真を撮ったという行為が残ります。
物乞いをする人は老人だけではありません。少年もまた物乞いで生計をたてているのでしょうか。
複雑な思いを抱きながらも寺を後にして先に進みます。
途中にあったテーマパークのMountain Operaです。荒野の真ん中にUSJの様なものがぽつんと存在しているといった感じでしょうか。貧富の差が激しいということかなと思いますが、どんな人達が訪れるのでしょうか。
車はデカン高原をどんどん進んでゆきます。
シャルマンが突然「STOP! STOP!」と停車を要求しました。車での長距離ドライブでは当然ながら自然の要求があります。私たちも並んでデカン高原で連れ○○ンです。

超気持ちい〜〜

そして空かさず水分補給をします。

宿泊地のMiryalgudaに近づくと少し町らしくなり、アトの修理屋などもあります。整備工場というにはお粗末ですが、活気がありました。私が子供だったころのモータース系の整備工場を思い出しました。

当時はマツダのオート三輪やダイハツのミゼット(現行の四輪ではなく、稲村ジェーンに出てきた三輪のミゼットです。)

今日の宿泊地であるHOTEL VAISHNAVIです。Miryalgudaに唯一あるホテルのようです。
HOTEL VAISHNAVIにチェックインして昼食の後目的地のVishnupuram(ビシュヌプラム)へ向かいます。
過去に英国の統治下に置かれた国だからでしょうか、1階がグランドフロアで2階が1stフロアになります。

古いホテルですが木の部分に重厚さがあります。

世話をしてくれた少年?達です。
左から3番目の彼はどことなくベロに似ていて、ついついベロ君と呼んでしまいました。
部屋の様子です。
ゆったりとして、エアコンもガンガンに効いています。テレビも有りますがよく停電しました。
ホテルのレストランでの昼食はもちろんカリーです。郷にいれば・・・ということで、シャルマン達と同じメニューで、ご飯を戴くときもスプーンではなく素手で食べます。
インドに来てつくずくフィンガーボールの重要性を痛感しました。
食後のデザートはアイスクリーム。さっぱりとしていて、辛目のカリーの後にとても爽やかです。
ソンフは店や地域によってけっこう違いがあります。これはシュガーコーテッドソンフです。
食事を終えたMiryalgudaの町はスコールのような俄雨です。
商店で雨宿りする人々。
濡れたサリーはなかなか色っぽいものです。
小さなアトに無理矢理乗り込む人々。7〜8人は乗っています。
パワフルなオッサンは何処にでも居るものですね。サドルの上まで積み込んで俄雨の中を駆けてゆきます。
目的地であるインドセメントのビシュヌプラム工場。この日は下見だけでホテルに帰ります。
ビシュヌプラムではJ-PHONEのローミングサービスが使用出来ました。携帯電話でインドから直接日本に電話がかかります。とても便利な時代ですね。ただし、かかってきた電話の通話料もこちらが負担しなければなりません。
工場事務所のラヴィさん。
常に冷蔵庫の傍にいて離れません。お茶係というか冷蔵庫係というか・・・・
早速私用のミネラルウォーターを確保してくれました。そして持参の7UPも並べられました。
冷蔵庫は韓国のLG電子製です。LGは現在LG電子ジャパンとして日本にも現地法人があります。最近ではLGブランドの大型液晶テレビなどを見かけるようになりました。
遅くなったためか、夜の国道を猛烈なスピードで飛ばします。南インドにはロービームという言葉は存在しないようです。こちらもハイビームですが、対向車も常にアッパーのままです。幻惑で歩行者が居ても全く見えません。
人身事故は起こらないのかと聞くと「よくある」ということでした。それも轢き逃げが多いとか。「定員過剰の車が多いから、事故が起きると血の海になる」ということです。

後部座席の宮木さんは生きた心地はしなかったでしょう。

「人よりも牛を轢くと一大事だ」と笑っていましたが、冗談であると信じたいものです。

遅い夕食は中華風の麺料理ですが、やはりカリー味でした。
揚げ麺にあんかけで戴きますが、皿うどんのようで美味しく戴くことが出来ました。
お疲れの宮木さんもペロッとたいらげています。激辛系が続いたので、この日も夕食にはほっとしているようです。
HOTEL VAISHNAVIのトイレには自然落下式の湯沸かし器が備え付けられ、熱いシャワーが出ます。
便器の周辺にはトイレットペーパーはないどころか、浴室?の何処にもそれは見あたりません。
今回のインドロケに持参したモンベルの便所紙ホルダーです。登山用ということですが、とても役だってくれました。
今では社員数百名というアウトドア用品総合メーカーですが、笹邊はモンベルがまだ社員10数名のガレージメーカー時代からのユーザーです。今回もザックなど、様々なモンベル製品を使用しましたが、この便所紙ホルダーはピカイチの存在でした。
エアコンはAlexanderブランドですが、何処の製品かは判りません。しかし冷えすぎる位に冷えました。

テレビはフランスのトムソン製です。トムソンは最近日本のカノープスを買収したことが話題になりました。

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