2007年02月14日(水)
銀塩写真
 「銀塩写真」だった。'80 Tsuruhashi OSAKAを掲載した日常美術館がヒットしていた。写真はローライフレックス2.8Fで撮影したものだ。トライXをボイトラー氏の処方による現像で、Ilfoblom Galleryというバライタ紙に焼いたものだ。まだ動画を生業にする前のもので、この頃にはデジタルカメラなどというものが出来るなんて想像も出来なかった。
 昨日ヨドバシ梅田の8階にある焼肉レストランで昼食を摂っていた時に大阪駅を見下ろしながらスタッフと話していた。
 「子供の頃にはここを福知山線から来た蒸気機関車が走って、大阪駅前には市電や電気で走るトロリーバスも走っていた」???トロリーバスを知らないらしい。
トロリーバスは市電から軌道を取り去った無軌道電車のことで、今で言う電気自動車である。ただしバッテリーではなく架線から集電装置(トロリーポール?)で電気の供給を受ける点が違う。時に架線からローラーが外れて車掌がポールから伸びたロープ?を操作して架線に合わせていたような記憶がある。
 最近、今の若い人と我々の世代では何が違うのだろうかと考える。私が生まれた頃は戦後10年を過ぎない頃で、今のような便利なものは何も無かった。水道は無く井戸があり、それもポンプは川本の手動式だ。ある友人の家ではポンプではなくツルベが使われていた。洗濯は電気ではなく、当然洗濯板と盥である。自家用車などもちろん無く、学校の小遣いさん(用務員とも言われたが今では校務員)がエンジンの付いた自転車、いわば原動アシスト自転車に乗っていたくらいだ。学校の記念写真はフラッシュバルブではなく、マグネシウムを焚いて写された記憶がある。バン!と光った後、フワ〜ッと灰が降ってきた。電卓は無くそろばんが主流で商売人は4つ珠ではなく五つ珠を使っていた。電話は商売をしている人がダイヤルの無いものでハンドルをグルグルまわして交換手を呼び出して繋いでもらうものを持っていて、それを貸してもらった。今から思えばとんでもない時代である。
 幼少をこんな時代に過したが、技術革新は東京オリンピックあたりを境に加速度を付けて進んでいった。電化製品がどんどんと家庭に入り込み、我が家にも電気洗濯機、電気冷蔵庫、そしてテレビ、自家用車がやってきた。もちろん電話はダイヤル式になり、これらはみな一家に1台ということが当たり前になった。
 それが大阪万博を迎えた70年にはさらに進歩して、人類が月に行くような時代に突入した。科学万能の時代だ。そして消費は美徳とされ、やがて飽食の時代にまで駆け上がった。
 こういった時代の変化は歴史でいえばチョンマゲをやめて袴からズボンに変わった明治維新に近いものがある。もしくは人類が火を手に入れた頃に匹敵する大変化の時代といえるかもしれない。その変化に我々はうまく追従してきた。それは「無い時代」を知っているからこそ柔軟に対応できたともいえる。故横井昭一氏がグアム島の密林を28年間生き抜いた後に、日本に帰ってからあっという間に今の人になった柔軟さに似ている。
 ところが今の若い人は違う。生まれた時から物が溢れ、何でもそろっていた。それゆえに貪欲さが欠乏しているように思う。コンピューターでもデジカメでも、私の方がよく使い、また使いこなしている。彼らは好奇心が不足しているのかもしれない。車でもそうだが、私はマニュアルシフトに拘るが、彼らはオートマチックが楽だという。タイトなワインディングロードをヒール・アンド・トゥで楽しんだり、ダートや積雪路でのドリフト感を嬉しがったりしない。
 音楽もそうだ。私が子供の頃はもっぱら歌謡曲が一般的で、そこにベンチャーズ、ビートルズが輸入され、ウエスタンカーニバルはロカビリーからGSサウンドに変わった。70年代はウッドストックを皮切りにプログレッシブロックへ進んだ。同時にフォークソングにも嵌った。おかげで今は演歌からロック、ヒップホップまで違和感無く楽しむことが出来る。数え上げればキリがないが、我々と彼らのと間には確かに違うものがある。
 一昨日の現場で奇跡のプロゴルファーと呼ばれる、映画「ありがとう」のモデル古市忠夫さんと、「ありがとう」の主役赤井英和さんに会った。氏達の強さはやはり「無い時代」を経験してきたからだろう。神戸の震災での話をされたが、生まれた時からアウトドアだった我々は常に貪欲でサバイバルな生き方を得意としているのだ。
 今日私は思ったことを心のままに書いたが、決して今の若者を否定しているのではない。彼らの持つ新しい感性を生かした仕事の進め方は必ず有り、それを生かすことが「無い時代」を知る我々の使命であり、我々とは異なる新しい感覚を伸ばすことである。そして我々はなおさら、彼らの新しい生き方を受け入れる柔軟性を持ち続けていかねばならない。


2007年2月14日 | 記事へ | コメント(3) |
| 写真撮影・カメラ機材 |
自分が物心ついた時には既に白黒テレビがあり、自家用車もありました。もちろん電話もあった(と思います)。

自分が今の業界に入った頃、タイムコードを使わないCTL編集でした。ノンリニアなどはなく、タイトルなど通常のテロップ以外ははカメラで接写です。「もうちょい右上げ、いゃ今度は左上げ・・・あれ?センターズレちゃったよ」なんて感じです。

SENRIさんから見れば自分などはすごく下の世代ですが、今の若い人たちよりは映像制作にあたって、考え工夫を必要としました。それが今の便利なノンリニア編集になっても活かされていると思います。
今の若い人たちにもっと好奇心を持って、考える力をつけてもらいたいと思っています。
たまたま昨日の自分のブログに同じようなことを書きましたので、コメントさせてもらいました。
こんにちは。
ハードなスケジュールも一段落して、少しWEBも更新できました。
>今の若い人たちにもっと好奇心を持って、
>考える力をつけてもらいたいと思っています。
M君はすごく真面目な青年ですね。
私が25の頃は業務日報も嫌がっていました。
写真が仕事でしたから「主張先で会った宣伝部の○○さんは可愛かった。機会があれば誘ってみよう」なんて日報を書いていたように記憶します。社長も社長で「何処々々○○チャンは絶対イケルよ!」という調子です。
ブログをのぞいてみて、もう少し箍をゆるめて長い目で見るほうがいいかも知れないなと・・・。ひょっとするとM君よりも福田さんの方が焦っておられるのでは?
すみません、近頃は思ったことをズケズケといってしまうようになってしまいました。
> ひょっとするとM君よりも福田さんの方が焦っておられるのでは?

その通りです。自分でも焦りは感じています。
どうやったら良い方向に向けることができるのかということばかり考えてしまいますね。
しばらくは少しゆるめてみようかなぁ〜と思います。
コメントを記入  
お名前(必須)
 
パスワード:
 
メール:
 
URL:
 
非公開:  クッキーに保存: 
※非公開にチェックを入れると、管理者のみにコメントが届きます。
ブログの画面には表示されません。
captcha


※画像に表示されている文字を入力してください(半角・大文字/小文字の区別なし)。
文字が読みづらい場合はこちらをクリックしてください。
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー リンク
 

PHOTOHITOブログパーツ


ニックネーム:SENRI
都道府県:関西・大阪府
映像制作/撮影技術会社
(株)千里ビデオサービス
代表取締役&
北八ヶ岳麦草ヒュッテHPの管理人です。よろしくお願いします。
色々出ます

»くわしく見る

バイオグラフィー