2007年03月16日(金)
とわの映像
 「とわの映」である。今日のテレビ放送では歌手:鈴木ヒロミツ氏の告別式を各放送局が流していた。人間にとわ永久というものは無い。いつかは命が尽きてしまう。しかし今は芸能人や政治家でなくとも永久的に映像を残すことが出来る。私も亡父の映像を放送フォーマットのベーターカムにして持っている。これは自分自身のてめではなく、亡父の孫、つまり私の子供たちに残すものである。
 写真は以前私が中継を行った某金融業会の重鎮のお別れ会の様子だ。告別式の後日行われたものだが、故人に係わる大勢の方々が参列された。この時の記録をDVDで納めたが、ご遺族にとってはかけがえの無い映像である。また、一昨日は歌手の鈴木ヒロミツ氏が逝去された。多くのメディアが氏の告別式を放送していた。ウエスタンカーニバルのモップス時代から見ているが、また一人惜しい人が先立てしまった。ご冥福をお祈りする。
 上で書いたような方や芸能人は昔から多くの記録映像が残っているが、今日では我々一般人も数多くの記録映像を残せるようになった。8ミリフィルムによる記録が中心だった頃は、なかなか一般の家庭では難しかった家族の記録映画も、ビデオキャメラの発達とともに放送と同等の品位で残すことが出来るようになった。さらに最近ではハイビジョンでも簡単に残せるようになった。画期的なことである。この先、日本や世界を破滅させるような事態にならなければ、メディアの変化似合わせて保存先メディアを更新して行くことで、未来に残すための、とわの映像も夢ではない。
 今日3月16日は49年前の1954年3月1日に、アメリカが行った水爆実験によって第五福竜丸の乗組員23人が被爆したことを読売新聞がスクープした日だ。アメリカは54年3月1日から5月14日まで6回の地上、水面の水爆実験を行い、3月1日の地上実験が最大の15メガトンだった。実験に際しアメリカ軍は、当日の気象などを参考に危険海域を設定したが、放射能物質の広がりは予測をはるかに超えたものであった。
 爆発時の状況を「核の海」(岩波書店)の著者、スチュアート・ファースは次のように書いている。「実験は広島の1000倍に匹敵する地獄さながらの光景をつくり出していた。直径が数キロもある巨大な火球が、その範囲内のすべての生物に死をもたらし、粉々に吹き飛ばした。熱風が四方八方に吹きまくった。1000キロ離れたところでも感じられたこの風は、爆心点で発生した時速3500キロの衝撃波によって発生した爆風だった。環礁の遠く離れた島々でも樹木がなぎ倒され、礁湖には高さ30メートルの波が発生した。大量の海水が蒸発し、サンゴ礁の一部も消滅して何億、何十億トンもの砂や土、サンゴが吸い上げられ、放射性の粒子となって空中を漂い始めた」と。
 1954年は偶然にも私がこの世に生まれた年だ。とわの映像を未来に残すためにも、再び起ころうとする核戦争を防がなければならない。核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を改めて思い起こした3月16日である。


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| 映像制作・撮影技術 |
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