懐かしい写真
2月始めから八ヶ岳の山小屋「麦草ヒュッテ」のホームページを作るための取材で一昨日まで入山していた。Eモバイルはおろか、FOMAさえ使えない環境だったためにホームページやブログは全く更新できなかった。
その山行に音声技師として同行した息子が帰宅してすぐに私の昔の写真を引っ張り出してきた。目的は私が昔撮影した八ヶ岳の動物達や植物の写真を見たいがためである。
北アルプスを縦走した時の写真や、冬の八ヶ岳を縦走した時の写真が色々出てきた中に、懐かしい友人とのツーショットが有った。今から25年あまり前の写真だ。
写真はハッセルブラッド500CMで撮影したも。今思えば−30度近くにまで気温が下がる厳冬の山に、よくもまあハッセルを持っていっていたと感心する。しかしさすがにコンパーだけあってセルフタイマーやシャッターには何の支障も無かった。
向かって左に写っている友人の水野上(現在は高橋寛樹といい、岐阜大学農学部を卒業後得度して真言宗の僧侶を務めている)はニコンF3を下げている。
写真を良く見ると二人のオーバー手袋は今は懐かしいミトンタイプだ。そして二人が履く靴はLOWAのチベッタだ。これは今も手元にあり、息子が大切に持っている。チベッタは現在もLOWAのラインナップとして扱われて、革からプラスチックに進化した。
当時私は自作の無人撮影装置を使って八ヶ岳の動物の写真を撮っていた。それらの写真も引っ張り出されていたので、最近買ったスキャナーで取り込んでみた。白駒池付近で撮ったリスの写真だ。
こういった写真を撮るために作った装置の写真も出てきた。日本橋の電子パーツの問屋や、パイプ加工の資材屋を探して作ったものである。
上の写真は赤外線の発光器を入れた投光部である。そして下が受光部である。設置が簡単な反射式は雪や雨の影響で誤動作が多く使い物にならず、送受分離式のものが確実に動作した。
最近では用品メーカーから無人撮影装置も市販されるようになり大変便利になったが、当時は自作するしか方法が無かった。
色々な写真が出てきて、忘れていたあの頃を懐かしく思い出すことが出来た。次の写真は同時期に根石岳付近で撮影したものである。
当時衣類に採用され始めたゴアテックスを使ったモンベルのストームクルーザーだ。蒸れにくくはあったが、今のものに比べると風通しが良すぎてかなり寒い思いをした記憶がある。また接着テープは1年もすれば全て剥がれてしまったように思う。
息子がフィルム庫をゴソゴソしてくれたおかげで四半世紀のタイムスリップを楽しむことが出来た。懐かしい一枚のつもりがどんどん増えてしまったついでに、先日の八ヶ岳ロケから少しピックアップした。
閉鎖された国道をスノーモービルを使って機材を運んでいる。当時に比べるとかなり気楽な山行である。
天気がよく、気温もマイナス数度という状況では下界と変わらない雰囲気で撮影を進めている。息子曰く「山をなめている」ということであるが、これまでに十分山の辛酸は舐めてきた。危険を感じ取る能力は身に付けているつもりでいる。
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2009年2月8日
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旅の紀行 |
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