2006年08月13日(日)
ゲーリーフィッシャー サンマルコ ロールス
 「ゲーリーフィッシャー サンマルコ ロールス」は自転車マニアによる検索だ。「日々好日」のアーカイブがヒットしていたが、残念ながら写真はアメリカンスタイルの700Cだった。
 マウンテンバイクが日本に上陸し、Fukaya、MuddyiFoxやNishikiなどが国産完成車として発売した。しかし私はマウンテンバイク創始者のゲーリーフィッシャーやチャーリーカニンガム等への憧れからフィッシャーのフレームにカニンガムデザインのブレーキを付けたかった。当時MTB(当時はATBという言葉はなかった)用の優れたサドルがなく、マニアの間ではレーサーに使うサンマルコのロールスが流行った。例に漏れず私も迷わず採用した。
 私がMTBに注目した理由は、高性能なランドナーをMTBに求めたからであり、サイクルスポーツの世界にも今のような激しいダウンヒルレースなどは無かった。雑誌などもトライアスロンやツールやジロのようなロードレースがメインだった。そして当時はETの影響だろうか、BMXなどがとても盛んで一条サイクルも店内はファニーバイクやBMXが中心だったしイトーサイクルでも大半はレーサーだった。まだフィッシャーなどは珍しい存在でありえた時代だ。フィッシャーはその後長男のの大学進学祝いに供与した↓(長男の九州ツーリングの一枚)

 様々な拘りがあり、サイクルバッグはカリマーを選んだ。何かの雑誌でイギリス人夫婦によるMTBでのツーリングが紹介され、その写真に彼等が使っていた大きなサイクルバッグが写っていた。その1枚に私が使っている登山用ザックのkarrimorのロゴを見て堪らなく欲しくなった。早速カリマーの代理店でVOLVOも扱う大屋雅子さんのご主人の会社に問い合わせたが輸入はしていないとのこと。ただし「以前に届いたサンプルが色々ありますから見に来ますか」と言われ、いてもたっても居れず、すぐさま押しかけて「みんな買います」と様々なツーリングバッグを特別奉仕価格にてお譲り頂いた。紆余曲折で出来あがったゲーリーフィッシャーだが、北海道ツーリングは高速型の700Cで行った。

 その後も私の自転車への熱は冷めることなく、遂にスケルトンを自分で設計するまでに至ってしまった。柏原にあるナショナル自転車の小野氏を訪ね色々ご指導を仰ぎレーサーやファニーバイクを数台製作した。当時の作品で最も気に入っているものが今も手元にある。

 最近は体力も衰えロードに乗るようなことも無くなったが、「男クロスレシオ」の24インチクリテリウムである。現在はフロントを57Tに落としているが、現役時代は64Tのギア板に13〜20Tのクロスで乗っていた。このバイクのサドルは当然サンマルコロールスである。

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