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2009年01月07日(水)
ロイヤルグランコンペ
ロイヤルグランコンペで検索された。
結果はなんと4,660件中の1位でこのブログがヒットしていた。当時の社名は「吉貝機械金属株式会社」だったが現在「株式会社 ヨシガイ」へ商号変更した。トレードマークはDIA-COMPEである。
バブリーな時代にバブリーな製品を作っていた。スギノ75のカーボンモデルなども出たいたが、このロイヤルグランコンペ、いかにもゴージャスだ。下の写真がこのロイヤルグランコンペを搭載した前後24インチのクリテリウムである。チェーンホイールはスギノスーパーマイティーでFDはサンツアーのスプリント。大径のスーパーマイティーとは相性がいい。当時はサドルにサンマルコロールスをつけていたが、ロールスの緊箍児(きんこじ)の輪のみたいな金環とのマッチングがいかにもバブリーであった。これを付けて速く走れなければ恰好が悪い。そのプレッシャーが意外とトレーニングには役立った。

最近は息子達がサイクルマニアになり、私はもっぱらモーターファンである。しかしサイクルファンだったことが何故か映像の世界に繋がるのが不思議だ。あるディレクターはサイクルスポーツにコラムを書いていたり、サイクルスポーツセンターのイベント映像や自転車博物館の展示映像を撮らせていただいたのも何かの縁だ。
面白いのは私のブログの Ciclo というカテゴリーだ。自転車のことから始まって、いつの間にか映像に結びついている。人間が生きていく過程で関わったものは、全く関係がなさそうに見えて、けっこう繋がっている。
上の写真は自転車のハンドルバーにカメラを取り付けるクランプ。最近発売されたソニーの豆カムHD:HXR−MC1用に買ったわけではないが、DVでは非力すぎたこのクランプも最適なバランスになるだろう。
自転車と映像は結びつきそうにもないが、実は2番目の写真のフレームは私が設計したもで、ビルダーはナショナル自転車の斧隆夫氏である。そして自転車と映像が繋がるものとして株式会社シクロ・イマージュがある。ここはスキーと山岳映画の草分けである東京福原フィルムスの事業を引き継いだ自転車競技を主とした技術&制作会社だ。自転車を中心とした映像製作で成り立つところが草分けの所以であろう。オンリーワンの素晴らしさだ。
BSiで放送している「銀輪の風」のサイトも見ごたえがある。
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2008年07月24日(木)
AHEADCAM ファイナルアンサー
 徐々に改良を加えてきたAHEADCAMがついに最終バージョンにまで成長した。私だけではなく、他のスタッフからも絶賛され、いよいよ自他共に認められる存在になった。
 改良点は長時間の撮影による手首への負担軽減だ。

 上の写真は今年のシクロジャンブルで入手した自転車パーツだ。どう使うかはそれほど考えていたわけではないが、じっと眺めているうちに閃いた。

 これが完成したAHEADCAM FINALだ。手前のパッド部分を両腕で挟むことで手首への加重は従来の1/3(体感)になった。

 両手で保持するスタイルだけではなく、椅子や台に座ってパッド部分を膝に載せるとハンディーとは信じられない安定したFIXを撮ることが可能になる。

 これがパッド部分。AHEADCAMの心臓部にサイクルパーツのアヘッドを用いたことで付けた愛称だが、このAHEADCAMを構成しているパーツのおよそ9割は自転車用部品もしくはアクセサリーだ。特に中央部のフネを支えているプレートは自転車を壁に吊るすための用品である。
 「そんなパーツでろくなものは出来ないですよ。それよりも既製品を探した方が・・・」と言っていたスタッフも「これ最高!何処にも売ってない!」と言いながら今ではAHEADCAMを愛用し「AHEADCAMがなかったらとてもZ1JやZ7Jでは手持ちは無理」とまで言ってくれる。変なオヤジ扱いされつつ開発してきたが、今の私は鬼の首を獲った気分である。いずれは何処かの撮影現場で使用した様子をShootingないしはField Reportで紹介しよう。
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2008年05月18日(日)
服部緑地 シクロジャンブル
 半年ぶりの「服部緑地シクロジャンブル」である。天気はよく、まさにチャリンコ日和だった。シクロジャンブル(Cyclo jumble)とは(自転車の)ごたまぜ、寄せ集め、入り乱れると言う意味。で、内容はというと自転車のフリマといったところ。ユーレーサンプレックス、そしてカンパなどの外国製品の希少パーツや国産の旧ジュラエースシュパーブプロスギノ等々、珍しいパーツが色々出ている。その中に混じっていわばジャンク品、ストック品などが売られている。
 息子達と一緒に行ったのだが私が探すのはその中のストック品の投売りだ。サンツアーの初代ロラーカムブレーキ(カニンガムデザインのカムが付いたもの)やXCなどを買った彼らとは違い、私は今回も目的外使用の品々を探した。で、今回手に入れたものはこれだけ。
 アームレストとステムは次回制作予定のDVシューター用。そして手前のバーエンドグリップバーは台車の取っ手に使う。もちろんマグパッチ・カート用だ。別に自転車部品に拘る必要は無いのだが、軽金属を精密加工したパーツには何処と無く映像機材に共通するところがある。
 以前制作し、今では当たり前のように撮影に使っている小型カムコーダー用のAHEADCAMも多くの部位に自転車パーツを使用した。マンフロットからフィグリグなどのスタビライザーも売られているが、やはり自分の現場、機材に合わせて作ったオリジナル品でなければ痒いところに手が届かない。
 次のシクロジャンブルは9月が予定だそうだ。もう少し出店者が増えれば品数も多くなって嬉しい。次は目的外使用の物ではなく、純粋に自転車パーツを手に入れる目的で行って見たいものだ。
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2007年03月06日(火)
カリマー サイクルバッグ
 「カリマー サイクルバッグ」という検索だ。
 私が北海道をツーリングした時の写真が出ていた。検索結果の他のハイライトを引用すると「1946年、チャールズ&メアリーのパーソン夫妻によってカリマーは誕生。ランカシャーのサイクルワークショップにおいてその歴史が始まった。タフで機能的なカリマーのサイクルバッグの評判は、瞬く間にクライマーたちにも届くこととなる。」と書かれている。ところが何処を探してもサイクルバッグの写真が無い。グーグルの画像検索でも上がってこない。そこで今回はお宝公開である。押入れから引っ張り出して写真を撮ってみた。

これはハンドルに付けるフロントバッグ。上蓋は例に漏れず地図を入れられるようになっている。そして当時としては珍しい反射テープが前面と側面に貼られていた。

Universal 3というサイドバッグ。私は北海道ツアーにこれを持って行った。小さい割には容量が大きく、次の写真のサドルバッグを合わせて1ヶ月のツーリングを行った。

これがサドルバッグだが、単なるズタ袋である。しかし単純な構造だけにたっぷりと荷物が入った。

これは北海道ツーリングには使わなかったIberian Rear Pannier、振り分け式のパニアバッグである。

一世代古いパニアバッグ。大阪のテイジンが輸入し、政子ちゃんが「うちのお父チャンが・・・」と元気だった頃に帝人ビルでサンプルを譲ってもらった。

少しマニアックな見方をしてみよう。
フロントバッグのロゴである。

パニアバッグも同様の刺繍がされている。

下の写真はサドルバッグの刺繍である。
古いバッグの刺繍は旧のロゴマークが使用されている。登山用に持っているジャガーも似たような刺繍だった気がする。
そしてもっとマニアックに見てみよう。

パニアバッグの中についているタグだ。UKで作られ、オーダー番号も記載されている。カリマーのサイクルバッグの写真を探されていた方には役に立ったかもしれないが、そうでない人にとっては全く無意味なネタであった。しかしカリマーというメーカーは初期のエディバウアーのように人をマニアックにさせる魅力を持っていることは確かである。

[Karrimor Bike]で画像検索してこういうページを見つけた。
http://www.bikeit.eclipse.co.uk/bike2005/mechanics/bikes.htm
ここにはIberian Rear Pannierが付いたタンデムバイクに乗った親父が写っている。

そして
http://www.bikeit.eclipse.co.uk/bike2005/mechanics/packbikes.htm
このページにもカリマーが付いた立派なタンデムバイクがあった。

詳しく見ていくとギャラリーのページ
http://www.bikeit.eclipse.co.uk/bike2005/gallery/campo_imperatore.htm
ここに親父とタンデムとそしてカリマーの勇姿がいっぱい写っていた。思わず親近感を覚える親父である。
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2006年08月13日(日)
ゲーリーフィッシャー サンマルコ ロールス
 「ゲーリーフィッシャー サンマルコ ロールス」は自転車マニアによる検索だ。「日々好日」のアーカイブがヒットしていたが、残念ながら写真はアメリカンスタイルの700Cだった。
 マウンテンバイクが日本に上陸し、Fukaya、MuddyiFoxやNishikiなどが国産完成車として発売した。しかし私はマウンテンバイク創始者のゲーリーフィッシャーやチャーリーカニンガム等への憧れからフィッシャーのフレームにカニンガムデザインのブレーキを付けたかった。当時MTB(当時はATBという言葉はなかった)用の優れたサドルがなく、マニアの間ではレーサーに使うサンマルコのロールスが流行った。例に漏れず私も迷わず採用した。
 私がMTBに注目した理由は、高性能なランドナーをMTBに求めたからであり、サイクルスポーツの世界にも今のような激しいダウンヒルレースなどは無かった。雑誌などもトライアスロンやツールやジロのようなロードレースがメインだった。そして当時はETの影響だろうか、BMXなどがとても盛んで一条サイクルも店内はファニーバイクやBMXが中心だったしイトーサイクルでも大半はレーサーだった。まだフィッシャーなどは珍しい存在でありえた時代だ。フィッシャーはその後長男のの大学進学祝いに供与した↓(長男の九州ツーリングの一枚)

 様々な拘りがあり、サイクルバッグはカリマーを選んだ。何かの雑誌でイギリス人夫婦によるMTBでのツーリングが紹介され、その写真に彼等が使っていた大きなサイクルバッグが写っていた。その1枚に私が使っている登山用ザックのkarrimorのロゴを見て堪らなく欲しくなった。早速カリマーの代理店でVOLVOも扱う大屋雅子さんのご主人の会社に問い合わせたが輸入はしていないとのこと。ただし「以前に届いたサンプルが色々ありますから見に来ますか」と言われ、いてもたっても居れず、すぐさま押しかけて「みんな買います」と様々なツーリングバッグを特別奉仕価格にてお譲り頂いた。紆余曲折で出来あがったゲーリーフィッシャーだが、北海道ツーリングは高速型の700Cで行った。

 その後も私の自転車への熱は冷めることなく、遂にスケルトンを自分で設計するまでに至ってしまった。柏原にあるナショナル自転車の小野氏を訪ね色々ご指導を仰ぎレーサーやファニーバイクを数台製作した。当時の作品で最も気に入っているものが今も手元にある。

 最近は体力も衰えロードに乗るようなことも無くなったが、「男クロスレシオ」の24インチクリテリウムである。現在はフロントを57Tに落としているが、現役時代は64Tのギア板に13〜20Tのクロスで乗っていた。このバイクのサドルは当然サンマルコロールスである。
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2006年01月11日(水)
ロイヤルグランコンペ
 ロイヤルグランコンペで検索されていた。
 吉貝金属工業の名作グランコンペのスペシャルバージョンだ。検索された方には気の毒だが、RGCの写真は無かった。検索結果にこのブログもあったので、先日図面をアップしていた前後24インチクリテリウムのロイヤルグランコンペの美しい姿をアップしよう。
 上の写真がフロントで、下がリアになる。

 引きも軽く速度のコントロールもいい感じのブレーキで、サンツアーのシュパーブなども同系のブレーキだ。しかし天下のシマノには勝てなかった。シマノのジュラエースはカンパニョーロも押さえ、今や世界のジュラにまでなった。ツールやその他欧州の有名レースはジュラ無しに語ることは出来ない。そのジュラエースをそこまでならしめたのは、シュパーブやグランコンペという優れたライバルが有っての結果だと思う。
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2006年01月05日(木)
ワイルダムパスハンター
 ワイルダムパスハンターというキーワードは以前にも登場している。グーグルで検索されるページが少ないために度々検索され、いつの間にか人気ページになってしまったようだ。
 ただいつもパスハンのことでは読まれる方もつまらないだろう。実は大学の冬休みで帰省している末っ子が私の書斎の奥からこんなものを見つけ出してしまった。私も忘れていたほどで、鑑定団ものになりそうな図面である。1987年に私が設計し、ナショナル自転車工業のトップビルダーである斧隆夫氏にCAD出力してもらったクリテリウムバイクとファニーバイクの図面だ。当時はトライアスロンの影響でファニーバイクがもてはやされていた。高石友也も現役アスリート時代だった。
 もともとは小径クリテリウムモデルが目的で24インチを設計したのだが、勢いあまって前後24インチのファニーまで作ってしまったのだ。ただファニーは研究不足で私の姿勢にはフィットせず、たまたまジャストフィットした友人に譲って手元には無い。

 今残っているのは前後24インチのクリテリウムバイクとパスハンのフレームだけである。当時イノーやフィニョンに憧れていた。レモンは少し後の人だった。
 手元に残るバイクのパーツを紹介すると、チェーンホイールはスギノのスーパーマイティーに56〜64Tのギヤホイールが数枚。ディレーラーは大きなギアに最適なサンツアーのスプリント。ブレーキは吉貝(決して読み間違えの無いように)のロイヤルグランコンペ。

 ブレーキレバーには唯一シマノのジュラエースエアロ。しかし、この迷車も今は埃を溜めKADOTA同様に悲しい面持ちで私を眺めている。ただ、最近長男が某有名アウトドア関連企業で自転車担当となり、近々現役復帰できそうである。
 このバイクの図面を発見した末っ子は現在ナカガワのレーサーをレストア中だが、父親の過去を知った今、強い味方を得たと喜んでいるようだ。季節が良くなれば父子でパスハンツアーに出かけたいものだ。
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2005年10月11日(火)
ワイルダムパスハンター
 写真は今から20年あまり前のものだ。
自転車で北海道を一周した時のもので、場所はサロベツ原野付近だったと記憶する。当時は若いだけに体力、脚力とも十分で一日200kmの行程を難なくこなしていた。
 当時ワンゲルやサイクリング部では42Bランドナー中心だったが、私はアメリカンスタイルの700Cで軽快にツーリングしていた。
 写真の赤いフレームは今も自宅のガレージに眠っているし、今では希少となったカリマーのサイクルバッグもMTB用からランドナー用まで、全て保管している。
 何時か再びツーリングに出かけてみたいものである。
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