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2010年09月09日(木)
Ai Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8S
スチルネタが続いてしまって申し訳ない。
Ai Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8S】に関する検索がもの凄く多い。ヒットしているのは会社のサイト写真共有サイト、そしてこのブログである。
(写真をクリックすると大きなサイズが開きます)

調べてみるとオークションにAi Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8Sが出品されていた。30年ほど前に発売されたレンズにもかかわらず高額で取引されているのはさすがにニコンFマウントの威力だ。新型マウントを採用したために従来マウントのレンズが使えなくなってしまった某社とはユーザーに対する考え方が違っている。会社にはC社のEF70-200mm F2.8L USMもあるが、舞台撮影ではやはりマニュアルフォーカスのAi Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8SやAi Nikkor ED 200mm F2S、Ai Nikkor ED 300mm F2.8Sを選ぶことになる。AFも便利だが、ファインダーの視度を最良に調整しておけばフレームのどの位置でもフォーカスを合わせられるマニュアルフォーカスの方が都合がいい場合が多い。もちろん撮影はデジタルで行う。
性能面で言うと、いくらEDとはいえこの古いレンズよりはAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II が遥かに優れている。また一層の長玉である400mmクラスではAF-S NIKKOR 200-400mm f/4G ED VR II が圧倒的な高画質を得られる。一つ前のAF-S VR Zoom-Nikkor ED 200-400mm F4G(IF)だがAi AF VR Zoom-Nikkor ED 80-400mm F4.5-5.6D、AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF)+TC20Eを比較したサイトがある。
200-400mmF4は短焦点レンズを上回る性能であることは間違いない。温故知新も大切だが、最新の技術を結集したAF-S NIKKOR 200-400mm f/4G ED VR II は是非とも欲しいところ。決して安いレンズではないが、ビデオで使う2/3吋HDレンズの半額以下ということで狙えないわけではない。ただしもう暫くはAi Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8Sに稼いでもらわなくてはならない。古いレンズで気になる倍率色収差や湾曲収差も現像ソフトで除去できる。過去の優秀なレンズが今なお現役を続けられることもデジタルカメラの素晴らしさである。
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2010年04月14日(水)
笹邊幸人
笹邊幸人】で検索されていた。
ヒットしていたものに【笹邊幸人 プロフィール - あのひと検索スパイシー】というものが有った。
そこには【笹邊幸人 生年月日:1954年12月5日 出身地:大阪府吹田市 血液型:A型RHプラス コマーシャルカメラマンを経て現在TVキャメラマン・テクニカルディレクター・システムエンジニア・会社経営者・専門学校講師他。】という記述があり、こんな人と関係がありますとして日本水中映像の【中村宏治】さん、たしかに事務所にも行ったし、長男の先輩が勤務している。キングクリムゾンの【ロバート・フリップ】、かなり昔に雑誌の仕事で彼の写真撮影をした。そして何と写真界の巨人【アンセル・アダムス】があるではないか!そして次のページには作曲家の【神山純一】さん、CDの盤面やジャケットの写真を提供している。他にも色々出てくるが、とにかく面白い。
しかし良く考えると、ブログに書いたり、リンクを貼ったことがある人たちだ。この【あのひと検索スパイシー】だが今ひとつ意味のわからないサイトだと思う。

ちなみに下の写真が30年程前の笹邊幸人(右側)
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2010年03月07日(日)
National PE-480SG 電源改造
【National PE-480SG 電源改造】での検索。FieldReportの記事がヒットしていた。おそらく480Vの積層電池が入手困難になって検索されていたのだろう。
下の写真はPE-480SGにアンブレラを付けたもの。レイヤーズの撮影は出写になるのでほとんどこのスタイル2灯で行っている。ACを引けない場合が多いからだ。


電源にはアルカリ電池や積層電池ではなく、バッテリーライトで使う12Vのニッカド電池を使用する。ベーターカム時代はこれでカメラを回したが、後に13.2Vのニッケル水素が発売されたため、バッテリーライトにのみ使用し、ビデオカメラは現在充電式リチウムイオン電池を使用している。
ニッカド電池は古いようだが、バッテリーライトに使う場合はニッケル水素電池よりもはるかに強く、超寿命だ。タミヤのRCカーと同様大電流にはニッカドが一番いいようである。もちろんストロボも同様、コンデンサーに高電圧で蓄積させるために12V→480Vに昇圧しているので昇圧回路の一次側ではチャージ初期には5A以上の電流が流れる。

PE-480SGのアルカリ電池用TRパックにBPバッテリーケースのBC-90を取り付けたものが下の写真だ。
BC-90にリード線を取り付けてTRパックには4PINのキャノンコネクターで供給している。大型ストロボでいえばジェネレーターに相当する部分だ。
PE-480SGをフル発光させても数百発炊ける上にチャージも速い。そして増灯ケーブルを使って2灯発光も充分使える。
仕事柄BP-90が数多くある上に、ベーカムで使っていたBC-90が余っていたから出来た改造だが、ニッシンジャパン株式会社「ストロボ工房」PE-480SGで使用できる充電式パワーパックを発売している。大変経済的で小型軽量だ。私のところでも1台は欲しい。もしこの記事を読んで購入されたなら使用感などを聞かせていただければ幸いにおもう。
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2010年02月17日(水)
唯一のDXフォーマットレンズAF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-
所有しているニッコールレンズ中唯一のFXフォーマットレンズ。そして唯一Made_in_Thailandのレンズ。他のものは日本国内産で一部は栃木産である。このDXフォーマット用レンズはカメラとセット売りされているモデルで、価格対性能比は非常に良い。ほぼ未使用の中古をD300に常時装着するDX専用レンズとして購入した。そういえばD300もMade_in_Thailandである。後述するAi AF Zoom Nikkor 28〜105mm F3.5〜4.5D(IF)と画角が揃うのでD700のバックアップにちょうど良かった。そしてテレ端の開放F値も5.6よりも2/3絞り明るいF4.5というのも良い。ちなみにPBaseでのユーザー数も18-200mmと並んで圧倒的に多い。
何故唯一のDXフォーマットかといえば、ニコンの初期デジタル一眼レフであるD1やD2、D200などが会社に無かったからで、スチルが必要な時はF3Pやサイバーショットで事足りていたためだ。
そして最初にデジタル一眼レフが必要になって購入したのはニコンではなくキヤノン30Dだった。ニコン製のデジタル一眼レフに食指が動かなかったことが最大の理由。当時ニコンのデジタル一眼レフにはフルサイズが無く、ハーフ版用のレンズも少なかった。30D用のレンズはEF70-200mm F2.8L USMEF-S17-55mm F2.8 IS USMにした。ニコンにもAF-S DX Zoom-Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF)と言うレンズはあるが、スタビライザーが付いてニコンより安いのが魅力。ハーフ版(APS-C、DX等)のデジタル一眼レフとして比較すればキヤノンを選択せざるを得なかったともいえる。
上の写真はD700の仕事でのスナップの汎用レンズとして用意しているAi AF Zoom Nikkor 28〜105mm F3.5〜4.5D(IF)だ。AFのフィルムカメラ時代のレンズだが大変便利だ。D700でのスナップにはAi AF-S Zoom-Nikkor ED 17-35mm F2.8D(IF)やAi AF Zoom-Nikkor ED 18-35mm F3.5-4.5D(IF)よりも使い勝手がいい。引きは常用広角としての28mmで寄りは弱望遠の105mm。室内のストロボを使ったスナップや日中シンクロのスナップには最適だ。もちろん廉価版のセットレンズだけに最高性能を求めるのは間違っているが、雑誌の取材で使っても全く問題ない。

ここでニコンの開発思想を「ニッコール千夜一夜物語」から引用させていただく。
今も昔も、廉価版レンズの商品化で問題になるのは、性能と価格のバランスです。日本には "安かろう、悪かろう" という言葉があります。巷の安価な商品の中には、コストを下げるために、あたかも品質も下げてしまったかに見える商品もあります。皆が期待を裏切られた時、こんな言葉を口にしたのです。しかし、ニコンのモノ作りは、この言葉とは全く逆の発想です。昔からニコンには "広く世間の人に使っていただく廉価版商品は、上位機種にも勝るとも劣らない性能を有していなければならない。" という心意気ともいえる考え方があります。なぜなら、低価格商品はコンシューマー層のお客様の殆どが手にする商品になるわけです。それがレンズの場合、その1本の廉価版ニッコールレンズの品質こそが、全てのニッコールの品質を代表していると思われてしまうからです。多くのお客様に満足していただくには、開発者が一生懸命に知恵を絞って、価格と性能を両立させなければなりません。それは最高級品を開発するよりも、ある意味難しい試練なのです。
ニコンの中で最もクォリティーが高いと言われる栃木であろうと海外生産のタイであろうと、この思想が受け継がれている限り受注生産版であろうと、大量生産の廉価版であろうと、ニコンはニコンだと思う。

D3やD700が出るまでに多くのニコンユーザーがキヤノンに乗り換えたのは致し方ない。35mmフィルムと同じ画角で撮れるフルサイズが無く、ハーフ版のオリンパスペンFにニッコールレンズを付けたような状態では、このシーンなら20mm、これなら180mmという風にこれまで体が憶えた焦点距離と画角の感覚がおかしくなってしまう。そういう意味では私にとってD700などは35mmデジタル一眼レフということになる。
今日取り上げたAF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-70mm F3.5-4.5G(IF)には27-105mmF3.5-4.5と印字したテプラを貼っている。やはりこの方が解り易い。このレンズのおかげでD300の使用頻度が抜群に上がった。そういうわけでおそらく今後新たにDXフォーマットのレンズを購入することは無いだろう。最初で最後、唯一のDXフォーマットレンズである。
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2010年02月16日(火)
Nikkor-P Auto 600mm F5.6メンテンス
(写真は全てクリックすると拡大表示します)
Nikkor-P Auto 600mm F5.6のメンテナンスを実施した。といっても1964-1974に生産されたレンズであることと、ペンタックス67用のフォーカシングユニットゆえにニコンサービスでは受け付けてもらうことも無理。レンズはクリアーでEDIFのものに比べてゴーストも無くて良いのだがとにかくフォーカシングユニットが曲者。カメラの重量が加わるとフォーカス操作が極めて困難になる。ここに載っているサポーターを自作する必要を感じている。
先日テストで撮影した結果から、何とかして現役復帰させたいという思いに駆られた。


自作の人生さんが仰っているように
自分で何でもやること・・欲しいと思ったら買わないで自分で作る。この世の中のものはみんな誰かが作ってる。っていうことは自分でも作れない事が無い。ただ経験が無いだけだ。不器用でも無理だよと言われながらも一生懸命やってる人に僕は応援したい。 身近にこんな人がいたら応援してあげてくださいね。
という言葉に後押しされて、無謀にも禁断の光学機器メンテに挑戦してしまった。

先ず出来ることはグリスの入れ替え。ふと思いついたのが自動車用のエンジンオイル減摩材のモリスピード。二硫化モリブデンを配合したグリスもあるが、硬すぎても柔らかすぎても良くない。最適な粘度を求めれば自分で調合するのが良さそうだ。

内部の構造が解らないので慎重に分解していく。まずは回転三脚座を固定しているビス6本を抜いてみる。説奥に絞り羽根が見える。説明のために絞り込んで撮影したが、作業に当たっては開放にして行う。羽根を痛めないためだ。


取り外した三脚座。この当時のパーツは一つ一つが重厚に作られていて、メカ好きの人間にはたまらない魅力がある。





次はいよいよ絞り環の付いた部分とヘリコイドを分離する。驚いたのはこの部分の取り付けがビス4本で行われていることだ。強度に不安を感じるが、モータードライブが付いたニコンFでも耐えられる強度は確保されているはずだ。オリジナルのビスを無くさないように注意しなければならない。外したビスやパーツは転がらないように容器やトレーに整理する。
 

4本のビスを外すとヘリコイド部分と絞り部分が分離する。解り易いように絞りは締めて撮影しているが、やはり開放で行う。


次に取り外したヘリコイドの分解作業に入る。直進ヘリコイドのための回転防止用ガイドを固定しているそれぞれ2本のビスを外す。この時代のレンズはマウントの固定なども全てマイナスネジが使用されている。溝をなめない様にしっかりと押さえ込んで緩める。
 


 
ガイドを外した次はヘリコイドの外側部分、距離環のついた筒を固定している小さな6本のビスを外す。非常に小さなビスのため適合したドライバーを使わなければビスの形状を傷めてしまうので注意しなければならない。

これでヘリコイドが全て分離できた。ヘリコイドに付着した古いグリスをメカクリーナーで清浄する。私はWAKOSのブレーキ&パーツクリーナーを使用している。

清浄を終えたヘリコイド。
溝の中に砂埃などが残っているとスムーズな回転は得られない。ブラシやエアガンを使って細部まで清浄しなければならない。







モリスピードとメカグリスを調合したオリジナルの二硫化モリブデングリス。真っ黒なグリスだが減摩性能は抜群。ヘリコイドのギアに筆などで極薄く塗布する。厚く塗りすぎるとトルクが大きくなりすぎる。また塗布できていない場所があると金属同士が擦れて磨耗してしまう。均一に塗り延ばすことが肝心。そして刷毛の脱落毛にも注意しなければならない。塗り終わった後は塗布面を細かく調べて脱落毛があればピンセットなどで取り除く。

以上の作業を終えて組み立てればメンテナンス完了。これからはD700でのポートレートが非常に楽しみになる。
下の写真はこのレンズで撮影した熊川宿。気に入っている一枚。
Nikkor-P Auto 600mm F5.6 NIKON D700
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2010年02月06日(土)
たまには童心に還って
子供の頃憧れていたもの。人それぞれ色々あると思う。そして憧れたけれども手に入れられなかったもの。私の場合はベレットGTR、ギャランGTO-MR、コリンズのHF通信機、天賞堂HOゲージ鉄道模型全種、MGCのランダル他ウインチェスター全て、オルトフォンのトーンアームとカートリッジ、スズキのハスラー400、まあ色々ある。考えると物欲の沼だ。
その中でずっと気になっていた垂涎のアイテム。それはオリンピックを始めとする大きなスポーツの祭典が行われるたびにメーカーカタログや新聞やメーカーカタログに掲載されたフォーカシングユニットが付いた超望遠レンズ。
東京オリンピック(1964)の時はアベベが走る姿を学校のテレビで見た記憶があるくらいで、そこで使われているカメラなど記憶に無い。後の1968年に行われたメキシコ(夏)の頃は中学生で写真に興味を持ち始めたころということもあり、ニコンにカタログを送付してもらったりもしていた。そして決定的なのはやはり1972年の札幌(冬)のジャネット・リンではなく、報道カメラの砲列だった。大手の報道陣にはプロトタイプの300mmF2.8が配られたらしいが、大半はフォーカシングユニットを使う600mm前後とミラーレンズだったと思う。
(写真をクリックすると拡大します)
これは今回運良く入手した中古のNikkor-P Auto 600mm F5.6だ。先のオーナーが大切にしていたそうで、鏡筒の傷も僅かで、レンズの傷やカビは皆無。更に運良くというか、フォーカシングユニットがニコンFマウント用ではなくペンタックス67用になっている。これについては後で説明するが、ニコンではゼンザブロニカシリーズ用に40mm〜1200mmのレンズを供給していて、400mm〜1200mmはイメージサークルに余裕があるため、6×6用のフォーカシングユニットを取り付けてブロニカから発売していた)私はその頃はまだアマチュアでハッセルブラッドは高嶺の花で中版はブロニカS2とECを使い、レンズはニッコールの40mm、50mm、75mm、200mmだけであり、とても600mmなどは買えなかった。もちろんニコンFも最長はNikkor-P Auto 300mm F4.5止まりである。F2を購入した時はレフレックスの500mmF8で、やはりフォーカシングユニットの付いた超望遠レンズは垂涎の存在だった。
その後写真を生業にし始めた20代前半にハッセルブラッド、ローライフレックス2.8F、ペンタックス67、マミヤRZ67、そしてニコンF3P等を使い出したがそのときにはED化され、AIタイプのフォーカシングユニットAU-1を付けた超望遠レンズは姿を消し、購入したのはAi Nikkor ED 400mm F3.5S(IF)、Ai Nikkor ED 600mm F5.6S(IF)で後にAi Nikkor ED 300mm F2.8S(IF)、そしてニコンF4の時にAF Nikkor ED 300mm F2.8S(IF)を挿入して400mmは小さなAi Nikkor ED 400mm F5.6S(IF)、そして音が煩いAF Nikkor ED 300mmと300mm+テレコンでカバーできる600mmはハッセル用のリンホフと大判レンズ類購入の下取りに出してしまった。
結局私はニコンF時代から今までフォーカシングユニットを使う超望遠とは縁が無かったのである。それが先日素晴らしい中古に出合えたのである。それもペンタックス67用のフォーカシングユニット付でだった。
(写真をクリックすると拡大します)
フォーカシングユニットはペンタックス67の200mm以下用のバヨネット内爪ではなく、望遠用のバヨネット外爪に取り付けるスビゴットマウント(キヤノンFDマウントを大型化、もしくは池上のB3マウント状態)になっている。もちろんこのままではニコンFマウントには取り付けられない。ただしこれが運悪く?ニコンF用の旧フォーカシングユニットCU-1ではNikon D700に装着しようとすると、AI連動爪を壊してしまうため取り付けられない。また新型のAIタイプのAU-1ではD700のボディーと干渉するらしく取扱い説明書にも不可と書かれている。



そこで登場するのがKIPONとうメーカーのペンタックス67→NIKON-F変換マウントアダプターだ。上の2枚は中国の通販ショップのもの。
KIPONはドイツの光学機器メーカーでバヨネット変換アダプターやレンズ他いろいろな物を作っているメーカーだ。現在直販サイトは無いが、日本では焦点工房というところが扱っている。
このアダプターはニコンFマウント用だが、Fマウント部分を交換することでEOSにも使用可能と言うことだ。
今時EDでもない600mmをどうするの?と言われてしまうが、憧れのレンズが40年近い歳月を経て手に入れることが出来た上に、さらに最新のデジタル一眼レフ、それもニコン、キヤノン双方に使えるわけわけだから良いのではないだろうか。とはいいつつも非EDの600mmレンズが今時のレンズと張り合えるものではない。仕事ではなく、全く私の趣味の世界、大人買いの1本。
・・・だから今回は【たまには童心に還って】ノルタル爺である。

ちょっと追記しておきたい事がある。上に書いた内容だと私が余りにもニコン一辺倒と思われてしまうので少し学生時代からのフィルムカメラ遍歴を書かせてもらおう。(緑字は現有)
コニカVAコニカ現場監督コニカレコーダー、コニカC35
ヤシカTL、ヤシカエレクトロ35
オリンパスペンDオリンパスペンEE-3、オリンパスペンF、オリンパスペンFT
オリンパスM-1(OM-1ではなくてM)、オリンパスOM-1、オリンパスXA
キヤノンダイアル35、キヤノネット、キヤノン7S、キヤノンEX、キヤノンFTb、キヤノンF1、キヤノンA1
ペンタックスS2、ペンタックスSV、ペンタックスSP、ペンタックス67
ミノルタSR1s、ミノルタXD、ライツミノルタCL
マミヤスーパー23、マミヤRB67、マミヤRZ67
トプコン ホースマン970
ローライ35、ローライフレックス2.8F、ワイドローライ、テレローライ
リコーオートハーフ
アグファオプチマ1035
ニコンF、ニコンS、ニコンS2、ニコンFフォトミックFTn、ニコマートFTn、ニコマートEL、、ニコンF2、ニコンF2フォトミック、ニコンF2フォトミックAs、ニコンEM、ニコンFA、ニコンF3、ニコンF3HP、ニコンF3P
フジGW690、フジGS645、HD、HD-1、HDM
ハッセルブラッド500C、ハッセルブラッド500EL、ハッセルブラッド500CM、ハッセルブラッド500ELM
リンホフスーパーテヒニカ45、リンホフカルダンB
ジナーS、ジナーP
トヨビュー4x5、トヨビュー4x5G、トヨビュー8x10G、トヨフィールド4x5
思い出せた分だけ書いてみた。
他にもムービーのフジカGZ1000やニコンR8ニコンR10等も使っていた。
このニコンの8mmカメラは機会を見て写真を掲載してみたい。

2/11追記
こちらに写真を掲載しています http://svs-p.jp/blog/
2010年2月6日 | 記事へ | コメント(0) |
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2009年12月04日(金)
ビンテン 代替
愛用しているビンテンのヴィジョン10LFが壊れた。今年の6月にボールヘッドを交換したものだ。前回は磨耗だが、今回はカウンターバランス調整用のツマミが空回りして締め付けられない。これが本番なら一大事。仕込の機材チェックで発見した不具合だったので助かった。

今回は修理対応ではなくオーバーホールになるかもしれない。いずれにしてもヴィジョン10が無ければ大変困る。とりあえず急ぎで見積を取っているが、嬉しいのは代替品だ。「ビンテンの金額が高いのはこういった場合のコストも計算に入れているからです。」と代理店から説明を受けたことがあるが、確かにそうだ。製品のコストには製品だけではなく、部品保有やメンテナンスの代替品などのコストも入れて計算される。高いものを売りっぱなしでは困るのである。

今回の代替品は上位機種のヴィジョン100だ。「修理は急がないからね!」ゆっくり時間をかけてメンテナンスしていただきたい。ちなみに「ビンテン 代替」をググッてみたら、このブログが第一位になっていた。
2009年12月4日 | 記事へ | コメント(0) |
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2009年11月24日(火)
キヤノンダイアル35
キヤノンダイアル35というキーワードが多い。検索していただいた方々に古いコンテンツのままでは申し訳ないので新しいスライドショーを作った。ダイアル35はたぶんニコンF3Pなどよりも好きなカメラになるとおもう。
最近のフルオートカメラに比べると決して押すだけでは写らないが、ネガカラーを詰めて現像と同時のデータ化を行えばデジカメと同じ感覚で使え、何よりも現像上がりにワクワク出来る。完全に趣味の世界だ。
下のスライドショーは昨夜スタジオで簡単に取ってみたもの。明かりに時間をさけなかったので細部に不満はあるが、あまりネットで見かけない部分アップを中心に撮ってみた。このブログにはI FRAMEで埋め込んでいる。※FireFox、Opera、Safariでは問題なく再生できるが、IE-8及びSleipnirでは表示されない場合がある。その場合はコチラのページで再生していただきたい。
もしもキヤノンがダイアル35のデザインのままAPC-C(ハーフ版サイズ)のデジカメを作ってくれれば・・・・・背面の感度換算表が液晶に変わり、レンズ周辺のCDS受光部はフラッシュに・・・・ゼンマイモーター部にはもちろんバッテリー。期待してしまうのは私だけではないと思う。名称はCANON Didital 35だろうか。
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2009年11月22日(日)
「映像制作 技術 関西」〜U=17分前
「映像制作 技術 関西」の記事を書いて少し経って(17分後)先ほど一位だった会社のページが三位にダウン。

なんとこのブログがGoogleにキャッシュされて順位が変わってしまった。Googleが凄いのか、ZAQのブロガリが凄いのか???
なんとも恐ろしい検索エンジンの世界である。自分で自分の順位を下げてしまっては・・・・・
2009年11月22日 | 記事へ | コメント(0) |
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2009年10月28日(水)
FieldReportの記事が700に
会社のサイトで書いているFieldReportのアーカイブが700件に達していた。2002年の末から書き始めたもので、およそ7年になる。つまり年間100件ほどで3〜4日に1件の記事を書いていたことになる。

ちなみにこのブログの記事数は現在890だ。こちらは2005年4月から始めたものでおよそ4年半。年間200件ほどだから2日に1件である。FieldReportとブログを合わせるとほぼ毎日書いていることになろうか。吾ながらよく続けていると思う。

「継続は力なり」というが、インターネットを始めて12年余り、そしてホームページを公開して11年余り。今では大きな営業力になっている。統一性が無い上に今風のデザインでもなない。ただし業者に委託したものではなく、自分で作っていることでいつも現在進行形を保っている。多くの人に今現在の会社を見ていただきたいという思いがこれまで続けてこられた力だと思う。そしてWEBやBLOGのアクセス状況によって「読んでいただいている」ということが実感できる。これからも時間が許す限りこのペースを維持してゆきたい。

現在FieldReportの旧CGI部分を新しいCGIへの変換を進めている。同時に.cgiを.htmlの記述にも書き換えている。残り56ページ=560件と気の遠くなる作業だが、SEOを考えると.cgiのままでは具合が悪い。ぼちぼちと進めるしかないだろう。これも継続は力ということだと思う。
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2009年10月18日(日)
千里ビデオサービス工作室
千里ビデオサービス工作室だった。ハハハである。そんな立派なものは無い。そこにあるのは卓上ボール盤とドリル、グラインダー程度。大きな金属の切断はコーナンの作業室か近所の鉄工所に協力してもらう。ただ、中国製の卓上ボール盤であっても無いと有るでは大違いだ。ドリルでは不可能な加工がいとも容易く、かつ静かに行える。

明日から神戸にある女子大学の学校案内DVD製作のための撮影だ。前から気になっていたベビー三脚の100mm→75mm変換アダプターの固定加工を行った。もちろんボール盤が活躍した。
斜めになった場所に穿孔してネジを切るのだが、ドリルでは滑ってしまって正確な穿孔は不可能だ。

卓上ボール盤がそれを可能にしてくれる。低速回転でゆっくりと回り、静かに穴をあけていく。後はM4のネジを切って終了。

100mmの椀に75mmアダプターがしっかりと固定された。ビンテンのビジョン3でローアングルを撮る場合に使うマンフロットの#250Bを切断してウルトラベビーに改造したSajiky Podだ。ビジョン3のヘッドが安定して付く上に、アダプターが外れて困ることも無くなった。


今日は明日からの撮影に向けてグライドカム4000Proの改良も行った。いずれFieldReportで紹介するが、セットアップが非常に便利になった。全ては明日からのハードな香盤を乗り切るための作戦である。
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2009年04月13日(月)
16.694942, 79.648769
16.694942, 79.648769はグーグルマップないしはグーグルアースの座標だ。北緯16°41'41.79" 東経79°38'55.57"の場所を示している。キーワードは「南インド セメント」だった。


以前に行ったインドの場所がグーグルアースの航空写真では解像度が低くて表示できなかった。ところがいつの間にかデータが更新されていて、国道を頼って自分の走った道をトレースして見つけることが出来た。

座標のある地点にはインドセメント社のビシュヌプラム工場だ。NEDOの関連で現地のプラントの撮影をしていた。航空写真から自分が行った場所を特定するのは容易ではないが楽しい。また、グーグルアースを使えばアングルを変えて眺めることも出来る。下の写真はプラントを外から撮ったもので中央にひときわ高い塔が立っている。この塔を登ると南インドの地平線が見渡せる。

馬鹿と煙は高いところへ登るというが、まさにその通りだ。砂嵐が吹いた直後で遠望は利かないが、風に揺れる塔の上は至って気持ちがいい。貨物線はセメントを運ぶための引込み線だ。

今までグーグルアースで特定できなかった場所がわかったことで、中断していたインド紀行を再び続けるパワーが蘇ってきた。霧が晴れた気分である。

本件とは関係ないがグーグルマップのここを拡大すると超高精細な写真が表示される。グーグルの悪戯か、能力の見せびらかしかは判らないが、驚いてしまう。恐るべしグーグルである。
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2009年04月01日(水)
ファミリアRSチューニング
息子が免許を取って車に乗るようになった。新車は買い与えられないので、私の愛車マツダファミリアRS Sパッケージに乗せる事にした。以前FieldReportに書いたとおり見栄えを良くすれば車を大切にして安全運転に心がけるだろうと考え、7年分の垢を落とすために板金&塗装をした。

ちなみにコストは5万5千円と格安だが、「車を綺麗にすることが生き甲斐」という板金屋のおかげで外装は新車同様になった。他にもシフトレバーのブーツを交換したりもしたが、やはりヘッドライトはそれなりに暗くなっている。

先日息子が何処から探し出してきたのか、あることも忘れていたCIBIEの競技用ランプ&リレーセットを見つけてきて交換して欲しいという。最近では競技用もHIDに変わり、CIBIEの代理店SSリミテッドのサイトにもこんなリレーセットは無かった。当時は抜群に明るいと評判のスーパーハロゲンだったが、現在では競技用としては通用しない。それでも現在のファミリーカーに付けられた標準のハロゲンより確実にナイトドライブは安全になる。

早速バルブを交換してハーネスを取り付けた。私は横で指導しながら、息子は恐る恐る作業する。

後はハーネスを綺麗に束ねて他の電気系統と揃えてインシュロックで固定して完了。そしてそれまでファミリアRSに付けていた80W/90WのH4はトランスポーターのボンゴに回してボンゴのヘッドライトもかなり明るくなった。
これでさらに車への愛情が深くなり大切に乗る=安全運転するものと期待するが、車ではなく人の命を大切にするように心がけてもらいたい。

上の写真はボンゴから外した55W/60WのH4だ。貨物だからいずれ適当なものが付けられているだろうと思っていたら、何とフィリップスの球が使われていた。意外である。
2009年4月1日 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2009年03月09日(月)
佐竹明夫先生
佐竹明夫先生が先月お亡くなりになった。26日に剥離性大動脈破裂で死去、享年83歳であった。
佐竹先生との出会いは今から二十数年前、大阪で旗揚げした劇団を島田果枝先生と共に指導され、私はその劇団の映像を記録していた。そして私に役者とキャメラの係わりを教えていただいた先生でもある。
撮影所がフィルムからビデオに変わった頃、「ズームレンズだと自分がどのくらいのサイズで撮られているか、皆目判らないんだよ。キャメラが遠くから狙ってるから、ロングだと思ったらアップなんだよね!」と嘆いておられたのを思い出す。そして私がカメラというと「キャメラだよ、キャメラ」と窘められた。
佐竹先生は水戸黄門、島田先生は中学生日記で忙しくされながらも若い劇団員の指導に注力されていた。
写真は昨年お会いした時のもので、まさか亡くなられるなど思いもしなかった。「死ぬまで現役でいたいね」と仰っていたが、劇団が公演するたびに東京から足を運んでくださった先生はまさに「死ぬまで現役」の役者だった。「来年も鮎釣りに行くんだよ」と仰っていたが、今年の解禁に先生はいない。とても寂しいが、先生の心を引き継いだ若い者達は先生が考えている以上に頑張っている。当時劇団で役者をしていた大塚薫は脚本・演出の大塚彩王となって頑張っている。

私が先生の年齢になるまでおよそ30年。はたしてそれまで現役で居られるだろうか。しかし、55〜60で定年になって、その後いったい何をするのか。定年後20年、退屈で退屈で仕方ないはずだ。それならこの仕事、こんな面白い仕事を後継に渡すよりは現役で居たい。デジタルやハイテクが進んで益々面白くなるこの世界で現役を退くなんて、いくら金を積まれても離れたくない。髪の毛が全て抜け落ちても頑張ろう。
佐竹先生のご冥福を心からお祈りする。
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2009年03月08日(日)
久光劇場
今日は面白かった。昨年も編集した「久光劇場」新作の編集である。
といって映画ではなく、イベント用の映像である。今回は社員の方が熱演する「鎌田行進曲」のパロディだ。

久光製薬というと誰もが知っているというか、お世話になったことがある「サロンパス」が有名だが、病院で処方される「モーラス」も久光製薬の製品だ。久光製薬は江戸時代末期の1847年に「小松屋」として創業したのが始まりだ。創業地の鳥栖市田代は昔から朝鮮との貿易が盛んな地域で医薬が発展した。
昭和9年(1934)発売した「サロンパス」は余りにも有名なロングセラーだが、それよりも前の明治40年(1907)に発売した「快腹丸」は今なお販売されている。素晴らしい。

会社の沿革はさておき、売り上げ1000億を超える企業のパワーを「久光劇場」制作に全力を注ぐ社員さんに久光の原動力を見出すことが出来る。四角四面のビジネスにとらわれたベンチャーとは違った、アドベンチャーの精神である。編集時の参考用に用意いただいた「鎌田行進曲」のDVD、久しぶりに見たが、素晴らしかった。数々の特典映像も収録されていて、陶磁の太秦の様子や付近のロケ地なども紹介されている。もちろん個人用にリッピングもさせていただいた。
今回の仕事でも大きなパワーを与えていただいたと思う。是非自分自身のパワーにしていきたいと思う。
2009年3月8日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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